7日、ローマ法王がサグラダ ファミリアを正式に
教会と認定する聖別のミサを行ったようです。
サグラダ ファミリアといえば、
スペイン人建築家アントニ・ガウディの代表作の1つで、
1883年より設計が始まるも、未だ完成していない教会建築です。
細部まで作り込まれた彫刻、独創的な形態もさることながら、
ガウディの死後、内戦により資料の大部分を失いながらも
わずかな資料をもとに推測し、現在も建設が行われているという歴史も
大きな魅力の1つです。
それが、これまで未完成が理由で見送られていた
「世界遺産」化が2005年に一部認められ、今回正式に「教会」化されました。
関係者は、ガウディの没後100年にあたる2026年までに、
「栄光のファサード」だけでも完成させたいと発言しているそうです。
確実に「完成」を連想させる出来事です。
一ガウディファンとして、もちろん「完成」した姿は見たいのですが、
ただこのまま「完成」して「完成」といえるのでしょうか。
サグラダ ファミリアの魅力の1つは「未完」であることで、
その「未完」という魅力も含めてすでに1つのモノとして
「完成」しているように思えます。
そのサグラダ ファミリアが本当に「完成」するということは、
今のサグラダ ファミリアが「破壊」され、別の何かが誕生する
ということに思えてなりません。
この今のサグラダ ファミリアを継続、保管する何かが誕生するまでは、
「完成」しないで欲しい、と感じたニュースでした。